「定額残業代制度の有効要件と基本給から割増賃金を控除する賃金形態の有効性」 ~国際自動車事件(最一小判令和2年3月30日)を題材として~

第1 はじめに

近時、タクシーやトラック等の運送業を中心に採用されている、割増賃金相当額を他の賃金項目から控除する制度について、注目すべき最高裁判例が出ました。国際自動車事件(最一小判令和2年3月30日)です。同判決では、タクシー乗務員の歩合給から時間外・深夜労働等の割増賃金を控除して支払う賃金形態をとり、時間外・深夜労働等を行っても賃金総額は変わらない仕組みの適法性が問題となりました。
そこで、上記国際自動車事件判決とこれまで定額残業代制度について判示されてきた判決の有効要件との関係、及び上記制度固有の適法性について検証することで、定額残業代制度の有効要件について、あらためて整理してみたいと思います。

第2 定額残業代制度

1 定額残業代制度について

近年、運送業や医療業、宿泊業を中心に、定額残業代制度(「固定残業代制度」ともいうが、ここでは「定額残業代制度」という表現で統一する。)を採用する企業が多く見られます。企業側にとっては、同制度を採用することで、人件費を的確に把握できる、無駄な残業を抑制し生産性を上げることができるといったメリットがある一方で、正しく設計・運用しないと違法となりかえって二度払いを強いられるおそれがある等といったデメリットもあります。
この点、上記制度のタイプとしては、大きく分けて、①基本給組み込みタイプ(基本給などの総賃金のなかに割増賃金部分を組み込む。例として、時間外手当20時間分を含む等)と②別枠手当タイプ(基本給とは別に営業手当、役職手当など割増賃金に代わる手当等を定額で支給する)の2つがあるといわれています。
そこで、定額残業代制度に関して判例が相次いでいることから、まずは①②のタイプについて、判例の有効要件を整理してみたいと思います。

 

2 ①基本給組み込みタイプと②別枠手当タイプにおける共通の有効要件

(1)「判別」要件と「割増賃金額」要件
まず、定額残業代制度の有効要件について、最初に言及した判例として、テックジャパン事件判決(最一小判平成24年3月8日)櫻井龍子裁判官補足意見があります。
「支給時に・・・時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならない・・・。(さらに定額残業代を超える残業が行われた場合には)別途上乗せして残業代を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならない」として、時間外労働の時間数と残業手当の額について、明示することを要求しています。

(2)また、著名な医療法人社団康心会事件(最二小判平成29年7月7日)によれば、次のように判示しています。
「割増賃金の算定方法は、同条その他の関係規定に具体的に定められているところ、同条は、同条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではない。」としたうえで、「割増賃金をあらかじめ基本給等に含める方法で支払う場合においては、労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要であり、割増賃金に当たる部分の金額が同条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回るときは、使用者がその差額を労働者に支払う義務を負う」としました。

(3)このように、上記医療法人社団康心会事件(最二小判平成29年7月7日)をはじめ、これまでの判例(高知県観光事件(最二小判平成6年6月13日)等)を整理すると、㋐通常の労働時間の賃金に相当する部分と割増賃金にあたる部分とを判別できること(「判別」要件)と、㋑割増賃金にあたる部分が法定計算額以上であること(「割増賃金額」要件)の2点を、定額残業代制度の有効要件とする考え方を示しているといえます。
なお、㋑については、仮に法定計算額を下回っていても、その定めが無効となるのではなく、差額の支払いを請求することができると解すべきとする見解もあります(大内伸哉「最新重要判例200労働法【第7版】」105頁参照)。

 

3 ①基本給組み込みタイプ固有の有効要件(「時間」)

では、①基本給組み込みタイプにおいて、時間外手当●●時間分を含む等した場合、定額残業代制度の月の時間外労働時間の設定は、無制限に認められるのでしょうか。
この点、ザ・ウインザー・ホテルズインターナショナル事件判決(札幌高判平成24年10月19日)は、「本件職務手当の受給合意について、これを、労基法36条の上限として周知されている月45時間を超えて具体的な時間外労働義務を発生させるものと解釈するのは相当でない。この点、本件職務手当が95時間の時間外賃金であると解釈すると、本件職務手当の受給を合意した被控訴人は95時間分の時間外労働義務を負うことになると解されるが、このような長時間の時間外労働を義務付けることは、使用者の業務運営に配慮しながらも労働者の生活と仕事を調和させようとする労基法36条の規定を無意味なものとするばかりでなく、安全配慮義務に違反し、公序良俗に反するおそれさえある。」と判示し、月45時間分の通常残業の対価として合意したという限度で認めました。
また、イクヌーザ事件判決(東京高判平成30年10月4日)は、固定残業代を月80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とする定めを公序良俗に反し無効であると判示しています。
このように、労働者の健康を損なう危険性があるほど長時間の時間外労働等に相当するものである場合には、その定額残業代の定めは公序良俗(民法90条)に反し無効であると考えられます。

 

4 ②別枠手当タイプ固有の有効要件(「対価性」)

②別枠手当タイプ(基本給とは別に営業手当、役職手当など割増賃金に代わる手当等を定額で支給する)については、次の日本ケミカル事件判決(最一小判平成30年7月19日)が判示するとおり、さらに「対価性」の要件が問題となり得ます。
同判決は、「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。」と判示しました。
そのうえで、本件では、契約書や採用条件確認書、被告会社の賃金規程に業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨の記載、原告以外の各従業員との間で作成された確認書における同旨の記載から、被告会社の賃金体系では、業務手当が時間外労働等に対する対価として位置づけられているとした。さらに業務手当を平均所定労働時間を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当し、原告の実際の時間外労働等の状況と大きく乖離しないことから、業務手当には対価性があると判断しています。
この判例から、最高裁は、定額残業代の時間外労働等に対する「対価性」について、㋐契約書への記載や使用者の説明等に基づく労働契約上の対価としての位置づけ、および、㋑実際の勤務状況に照らした手当と実態との関連性・近接性を考慮する判断枠組みを提示したものということができるといわれています(水町勇一郎「詳細労働法(第2版)」704頁参照)。
なお、私見ですが、①基本給組み込みタイプにおける「割増賃金額」要件との比較から、②別枠手当タイプにおいて、上記㋑の要件がどこまで厳格に要求されるのかについて、判旨からは明らかではなく、残された課題と思われます。

第3 割増賃金込みの歩合給の違法性

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上記第1第2では、定額残業代制度について判例の有効要件について、整理してみました。では、基本給から割増賃金を控除する賃金形態をとる場合(以下、定額残業代制度の3つめのタイプとして、「③賃金控除の控除払タイプ」といいます。)、その適法性及びこれまでの定額残業代制度についての判例の考え方との整合性については、どのように考えればよいのでしょうか。
この点、参考となる判例として、タクシー乗務員の歩合給から時間外・深夜労働等の割増賃金を控除して支払う賃金形態をとり、時間外・深夜労働等を行っても賃金総額は変わらない仕組みの適法性が問題となった国際自動車事件(最一小判令和2年3月30日)があります。

2 国際自動車事件(最一小判令和2年3月30日)

(1)事案の概要
原告らは被告会社にタクシー乗務員として勤務していました。被告会社の賃金規則によると、原告らの賃金は、基本給、服務手当、歩合給、割増金等から構成されていました。このうち、歩合給は、揚高をもとに計算された対象額から割増金(深夜手当、残業手当、公出手当(休日労働手当のこと)の合計)と交通費を控除したものとして計算されており、控除額の方が多ければ0円として計算され、歩合給が0円となるまでの範囲では、時間外労働等が行われても賃金総額は増加しないものとされていました。
そこで、原告らが、歩合給の計算にあたり割増金を控除する旨の賃金規則の定めは無効であると主張し、控除された残業手当等に相当する賃金等の支払を求めて、訴えを提起したものです。
なお、本件事案の特徴として、時間外労働等に相応する割増賃金の額が増えれば増えるほど、通常の労働時間の賃金として支給される基本給(歩合給)が減額され、基本給がなくなる可能性があることがあげられます。

(2)判 旨
上記事案において最高裁は、「労基法37条は、同条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けたにとどまり、同条等に定められた方法以外の方法により算定された手当を時間外労働等に対する対価として支払うこと自体が直ちに同条に反するものではない。」としたうえで、当該手当の名称や算定方法だけでなく、労基法37条の趣旨をふまえ、「当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」と判示しました。
そして、「割増金の額がそのまま歩合給の減額につながる本件の仕組みは、割増賃金を経費とみてその全額をタクシー乗務員に負担させているに等しいものであって、労基法37条の趣旨に沿うものとはいい難い。また、歩合給が0円となる場合には、出来高払制の賃金部分につき通常の労働時間の賃金に当たる部分はなく、全てが割増賃金であることとなるが、これは、労基法37条の定める割増賃金の本質から逸脱したものといわざるを得ない。」
「結局、・・・(本件の)仕組みは、その実質において、・・・元来は歩合給として支払うことが予定されている賃金を、時間外労働等がある場合には、その一部につき名目のみを割増金に置き換えて支払うこととするものというべきである・・・。そうすると、・・・(本件)割増金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われるものが含まれているとしても、通常の労働時間の賃金である歩合給として支払われるべき部分を相当含んでいるものと解さざるを得ない。そして、割増金・・・のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかは明らかでないから、本件賃金規則における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。」とし、結論として、労基法37条には適合しないとしました。

(3)本判決の意義
本判決は、従前の定額残業代制度に関する有効要件(「判別」「割増賃金額」「対価性」)を踏まえつつ、「対価性」の判断では、同条の趣旨を踏まえ当該手当の賃金体系上の位置付けも考慮事情となりうること、本件のような③賃金控除の控除払タイプについては当該賃金部分の「対価性」と「判別」要件の双方が問題となることを明らかにしました。
すなわち、本件のような③賃金控除の控除払タイプについては、労基法37条違反の有無の問題として、割増賃金と主張される部分の「対価性」および通常の労働時間の賃金との「判別」要件の問題であると位置付けつつ、「対価性」について労基法37条の趣旨を踏まえて実質的に判断することとしたのです。

第4 まとめと国際自動車事件判決の課題

1 まとめ

従前の定額残業代制度と上記国際自動車事件判決を参考に、定額残業代制度について、その有効要件をまとめてみると、次のようになるものと考えられます。

①基本給組み込み
タイプ
②別枠手当タイプ ③賃金控除の控除払タイプ
「判別」要件
(時間の上限有※)
「割増賃金額」要件
「対価性」要件 ×
(実際の勤務状況に照らした手当と実態との関連性・近接性が必要※※)

(労基法37条の趣旨を踏まえて実質的に判断)

※労働者の健康を損なう危険性があるほど長時間の時間外労働等に相当するものである場合
には、その定額残業代の定めは公序良俗(民法90条)に反し無効
※※どこまで厳格に要求されるのかについて、判旨からは明らかではない。

なお、賃金控除の控除払について、国際自動車事件判決では明らかにされていない2つの課題が指摘されています。
1つめは、賃金控除の控除・減額部分が一部に限定されている場合の有効性です。
国際自動車事件は、通常の労働時間の賃金として支払われるべき賃金部分が0円となることもあり得た事案であるが、賃金控除の控除・減額部分が一部に限定されている場合は有効となるのか、一部でも控除・減額がなされ両者が混在している部分があれば労基法37条違反となるのかについては、明らかにされていません。
2つめは、労基法37条の割増賃金の算定上重要となる「通常の労働時間の賃金」についてです。国際自動車事件判決ではこの点の判断が明らかにされていません。
冒頭述べたとおり、賃金控除の控除払については、タクシー、トラック等の運送業を中心に広く採用されており、国際自動車事件判決を契機に、今後も多くの判示がなされることが予想されます。
また、上記第2の4でも指摘させていただきましたが、①基本給組み込みタイプにおける「割増賃金額」要件との比較から、②別枠手当タイプにおいて、上記㋑(「実際の勤務状況に照らした手当と実態との関連性・近接性を考慮する」)の要件がどこまで厳格に要求されるのかについて、判旨からは明らかではなく、残された課題ではないでしょうか。
これらの点について、裁判所の判断を待ちたいと思います。

【主な参考文献】
・大内伸哉「最新重要判例200労働法(第7版)」(弘文堂、2022)
・水町勇一郎「詳細労働法(第2版)」(東京大学出版会、2021)
・水町勇一郎「労働判例百選(第10版)」(有斐閣、2022、82頁、83頁)

 

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