元従業員による顧客の引抜き行為

第1.顧客の引き抜き行為は違法か

取締役や従業員は,会社と委任契約,雇用契約を結ぶため,在職中に会社と競業する事業を営むなどして会社の利益を著しく害するようなことをしてはならないという法的義務を負っています。この義務の範囲は,現時点で行っていない事業内容・地域であっても,将来行う計画があり市場で取引が競合する可能性があるような場合等は,競業避止義務違反となることもあります。
しかし,退職した後は,会社とは契約関係がないため,原則としてこのような義務は負いません。
そのため,例えば,辞めた人が元の会社のすぐ近くに同事業を行う会社を作り,顧客がその会社に移ってしまうことも,原則として許されるということになります。

在職中に顧客や他の従業員等を勧誘する行為は,取締役の忠実義務違反,雇用契約上の誠実義務違反などになる可能性があります。
一方,退職後は,原則としてそのような行為も許されることとなります。仮に就業規則や退職時の誓約書に「従業員は在職中及び退職後2年間,会社と競合する他社に就職し,あるいは競合する事業を営むことをしてはならない」といった競業禁止条項を記載していたとしても,退職者の職業選択の自由に対する制約が強いとして無効と判断される可能性も高いです。
もっとも,社会的相当性を逸脱したような引き抜き行為の場合は,違法となることもあります。引き抜き行為が違法かどうかの判断は,退職からどれくらい期間が立っているか,在職時点での計画性,元の会社に対する中傷や信用棄損行為の有無,元の会社が受ける損害の程度等を総合考慮して判断されます。

第2.退職者に顧客を引き抜かれないための対策

上述のように,元従業員による顧客の引き抜き行為を避けるためには,例えば,採用するときなど事前に従業員や取締役から,退職後に競業行為や引き抜き行為をしないことを内容とする誓約書を取り付けておく等,個別に合意をしておくことが有用です。なお,就業規則に規定しおく方法もありますが,個別に合意を取り付けておく方が,効力が争われたときに有利になる可能性があります。
ただし,この合意も,従業員に職業選択の自由が認められていることから無制限に認められるわけではなく,内容によっては無効とされる場合もあります。

このような合意の有効・無効が争われた場合,裁判例では,その制限の期間や場所的範囲,制限の対象となる職種の範囲,代償性等を総合考慮して,合理的範囲内の制約かどうかという点から判断するとしています。
例えば,2年よりも長い期間にもわたり,かつ広範囲にわたって競業禁止義務を課す場合や,労働者が長年にわたってその業界で働いてきたためその業種以外に転職が難しく職業選択の自由が大きく阻害されるような場合は,無効とされる場合もあるかと思います。
一方,高額な賃金,退職金等が支給されているなど,従業員に対して代償が十分なされているような場合は労働者の不利益は小さくなり有効とされる可能性が高まります。

このように,内容をよく精査しながらあらかじめ合意を取り付けておくのが有用です。
また,退職した人材が,技術情報や顧客情報等を競合会社に開示することがないように顧客情報等を「秘密情報」として取り扱い,従業員等と秘密保持契約を締結することも検討すべきです。

第3.顧客の引き抜きが発覚した際の対応

顧客の引き抜き行為が発覚した場合,引き抜き行為の差し止め請求損害賠償請求退職金不支給返還請求等の対応が考えられます。
もっとも,引き抜き行為があった際に,必ず損害賠償請求が認められるわけではなく,社会的相当性を逸脱するような引き抜き行為であると評価される場合に違法性が認定され,損害賠償請求が認められることになります。社会的相当性を逸脱するか否かは引き抜き行為の態様,結果,数量,元の会社に与える影響等を総合考慮して決せられることになります。

第4.引き抜き行為を未然に防ぐ就業規則・誓約書づくりのポイント

まずは,顧客情報を不正競争防止法上の「秘密情報」として取り扱い,管理しておく必要があります。
不正競争防止法においては,従業員や退職者が「秘密情報」を持ち出すこと,流用することは禁止されています。不正に秘密情報を流出させた行為者に対しては,刑事上の責任,民事上の責任を負わせることができるのです。明確に違法な行為であることを周知しておけば,顧客情報の持ち出しの強い抑止力となります。顧客情報を,秘密情報とする場合は,①秘密管理性②有用性③非公知性の要件を満たしておく必要があります。
この中で特に問題となるのが秘密管理性です。秘密管理性とは,秘密情報であることが周知され,秘密情報として管理されていることをいいます。
具体的には情報管理規程で,顧客情報が秘密情報であることを規定します。その上で,容易には持ち出せないような物理的な仕組みを作っておくこと,秘密情報であることが視覚的にわかるようにしておくことが求められます。

また,退職者との間において,退職者が従前担当していた顧客との取引行為を禁止する「顧客との取引禁止条項」を定めておくのも有効です。

以上を前提に,就業規則においては顧客情報の持ち出し禁止や一定の期間競業を禁じる項目を規定しておいた方が安心です。ただし,就業規則の規定が従業員の権利を侵害していることになると無効になってしまうおそれもあります。また就業規則を従業員にとって不利な方向で変更する際には従業員の同意が必要になってきます。また,誓約書においても一律に引き抜き行為や競業を禁止するのではなく,対象となる業種や年数,具体的な行為を特定しておいた方がこちらにとって有利になり得ます。これらの点について留意していただき,就業規則や誓約書を見直していただければと存じます。

以上

 

 

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